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観光スポット

流山本町のまちなみ

閻魔堂・金子市之丞の墓(流山の民話)

閻魔堂は、安永5年(1776年)の創健と伝えられています。大柄で、黒くて怖い、でもどこか懐かしい顔をした流山村根郷の閻魔大王が鎮座しています。 仏教では、人間は「四十九日」には、生前の行い如何により、天道から地獄までの「六道」に生まれ変わるとされています。死後七日ごとに、冥府の十人の王(裁判官)の裁きを受けることになります。その中でも、5番目で三十五日目の閻魔さまは、いくら罪を逃れようと嘘をついても必ず見破ってしまう一番強面で力があることで知られています。 そこで、昔の村人は、極楽往生出来るようお願いする安心の場所として、閻魔堂を建て、怖い閻魔さまをお祀りしました。 そして、境内には、閻魔さまの化身である救いの菩薩のお地蔵さまが一緒に鎮座しています。信心すれば、どんな厳しい判決を受けても、地蔵菩薩が地獄の果てまで迎えに来て、救いの手をさしのべてくれるという「救いの空間」をつくり信仰していました。

閻魔さまの参道真正面には、「義賊」金子市之丞(通称金市)と、恋人の遊女三千歳のお墓が仲良く並んでいます。 伝承によれば、金子市之丞は、近所の醸造業金子屋の一人息子でしたが、子ども頃に家が傾き、やがて博打に手を染め、江戸で盗賊をはたらくようになりました。その一方で金市は、剣の腕が立ち、豪商相手に貧しい人にお金を配って歩くことから、義賊と言われ、庶民からは「金市さま」と呼ばれ慕われました。しかし、文化十年(1813年)12月ついに捕らえられ、江戸小塚原で処刑されてしまいます。そんな金市を知る村人たちは、金市の亡骸を引き取り「来世でも人間に生まれ変われるように」と、この閻魔堂に葬りました。 金市と三千歳のことが有名になったのは、江戸末期の講釈師・松林伯円が、御家人御数寄屋坊主の河内山宗俊を中心に、御家人くずれの片岡直次郎こと直侍、物産問屋の森田屋清蔵、遊び人の闇の丑松、金子市之丞、紅一点の花魁の三千歳たち六人の盗賊が活躍する物語『天保六花撰』を創作し、庶民の喝采を浴びました。そして、これを歌舞伎作者の河竹黙阿弥が、有名な『天衣紛上野初花(くもにまごううえののはつはな)』として書き下ろしました。 明治14年に名役者「九代目市川団十郎・五代目尾上菊五郎・初代市川左団次」らが、東京新富座で初演し好評を博し、以後、代表的な歌舞伎演目として上演されています。 なかでも市之丞、三千歳が肩を並べる閻魔堂には、多くの歌舞伎ファンも訪れます。願掛け石には、生前の罪を軽くする、勝負運や金運などのご利益があるとされ、また、市之丞と三千歳に恋人同士の縁結びを願う、恋愛成就の祈願スポットとなっています。

住所 流山市流山2-116
交通アクセス 流鉄流山線「流山駅」徒歩6分
つくばエクスプレス・東武アーバンライン流山おおたかの森駅西口より京成バス「流山駅」バス停下車徒歩5分